こんにちは。はじめまして。
当ブログ『ななろぐ』運営人のななと言います。
私のプロフィールページをご覧いただきありがとうございます!
当ブログ内では主にこの姿で登場します♪
簡単にお話しするとこんな感じですが、少しでも私に興味を持って下さった方に…
少し長くなるかもしれませんが私のことについてお話しさせて頂きたいと思います!
・・・
と言いながら結構長くなりました💦
目次から気になるとこだけ読んでください^^
出身地と居住地
福岡市(出身)
冬のある日、福岡市で生まれ育ちました。
3人姉妹の末っ子で甘えん坊。
うち弁慶で外ではちょっとおとなしい。
そんな子でした。
地元のお嬢様女子高から短大へ進学し、東証一部上場企業のOLに。
20代後半で仕事関係で知り合った夫と結婚。
人生順風満帆と思ってました。
香川県高松市(転勤)
結婚1年後…長男を授かり、その出産とぴったり同じ時期に夫が転勤になりました。
(会社っていじわるですよね…!)
なかなか大変な出産で死にかけました。(エピソードは長いので割愛)
それなのに夫は引き継ぎとかで出張から戻らず….
産後1週間経つまで病院に来てくれなかったことは一生忘れません。
転勤先はうどんでおなじみの香川県高松市。
縁もゆかりもない土地で生まれたばかりの乳児の子育て。
スマホもないし、インターネットもさほど普及してない時代です。
長男は体が弱く、毎月40℃前後の熱を出し、病院ばかり通ってました。
分厚い育児書を何度も繰り返し読んでは心配事をつのらせました。
夫は出張も多く、帰ってくる日も深夜0時〜2時、土日も仕事…つまり、全然家にいませんでした。
ほぼ母子家庭!
孤独ながら、ご近所に同じくらいの赤ちゃんを持つ人が多く、「ママ友」はたくさんできました。
良い人もたくさんいたのですが、付き合いがあまりに密すぎて…
毎日休みなく集まるのに気を使い、疲れ果てました。
距離感大事です…!!!!
そんな高松時代に第二子(次男)を出産しました。
横浜市(現在)
高松から4年半後、今度は東京本社への転勤が決まり、通勤圏内の横浜市に転居しました。
以来20年ほど横浜住みです。
高松ののんびり田舎暮らしに慣れた頃だったので「都会…大丈夫かしら!?」と不安でしたが、来てみるととても良いところでした!
子どもたち2人は完全に「ハマっ子」
福岡より住み良いところはない!と思ってたのですが、横浜もとっても気に入ってます♪
これまで辛かったこと
平凡な経歴だし、順風満帆なのでは?と思われるかもしれません。
確かにわりと恵まれた人生なのかもしれませんが、たまには辛いこともありました。
摂食障害(拒食症)に苦しんだ日々
実は結婚前から摂食障害でしたが、夫には打ち明けないまま結婚しました。
その頃はだれにも相談せず、ひとりで治せると思っていたのです。
摂食障害という言葉もそんなに一般的ではなく、この病気について知る手段もあまりありませんでした。
なにより恥ずかしくて誰にも言えなかった…。
当時の私はガリガリでした。
身長160cmで体重は40kgあるかないか。
痩せた体型を維持するための拒食と、その後襲ってくる過食。
食べてしまった罪悪感からの嘔吐とその後の体力消耗と虚無感…。
自分の力で治せると思っていたのに、1人で慣れない子育てをしていた高松時代に悪化しました。
孤独で苦しかったのだと思います。
コントロールできない自分が情けなく、子供に申し訳なく、●んでしまったほうがいいと真剣に考えて、自●しようとすらしました。
その頃にはさすがに隠すことができず、夫に打ち明け、その後少しずつ周囲を頼るようになりました。
(我ながら、取り返しのつかないことにならなくて良かったです)
摂食障害(拒食や過食)は嗜好やただの痩せ願望ではありません。
心の病気です。
過食や拒食の行動だけを止めようとしても、苦しくなるだけで逆効果です。
そのことを理解し、自分を許すことに長い時間がかかりましたが、今は完治しています。
もし今同じような症状で苦しんでいる人がいるなら、「治らない病気ではない」ということを伝えたいです。
(私自身、その頃は「絶対に一生治らない」と思っていたので)
息子の病気|脳炎・てんかん・発達障害(ADHD)
長男が6歳の時、急性脳炎になりました。
突然でした。
命を落とすようなことにならなかったのが幸いでしたが、何度もけいれん発作を起こしながら2週間ほどは精神状態や行動に異常がありました。
集中治療室に入るも薬はなく、ただ見守るだけでした。
一生こんな状態かと覚悟しましたが、幸いその後は落ち着き、普通の小学生になりました。
しかしてんかんの発作は残り、20代になった今でも発作で意識を失い倒れ、救急搬送もしばしば。
(周囲の方や救急隊の方には何度申し訳なく思います…)
また、発達障害(ADHD)に近いところも見受けられます。
先天性のものか、脳炎の後遺症かは定かではありませんが…
本人にできる範囲で上手に暮らせるよう、声かけを工夫しています。
大人の発達障害について
いまは「発達障害」という言葉が一般的になりましたが、私たちが子供の頃はそういう概念がなく
「落ち着きがない」とか
「能力がない」とか
「親のしつけが悪い」とか
そんな言葉で片付けられていたと思います。
知らなかっただけで、実は発達障害だという大人は結構多いのではないでしょうか。
私自身も、ADHDではないか?と思い当たることがいくつかあります。
できないことを責めるよりも、できる範囲のことをする・できないことを諦めるほうが楽に生きられるかもしれません。
まわりの人を頼っても良いのです。
発達障害サバイバルガイド――「あたりまえ」がやれない僕らがどうにか生きていくコツ47 著者:借金玉
は発達障害である著者が、実体験から大人の発達障害の人に寄り添った具体的な方法や考え方を示唆してくれるおすすめの本です。
困っている方、生きづらさを感じている方は、うつ状態に陥ってしまう前にぜひ読んでみて欲しいです。
専業主婦時代にやったこと
結婚後、転勤や子どもの病気などもあり長い年数専業主婦でした。
専業主婦でいた間、こんなこともしていました。
自分でホームページを作った(サイト運営)
初めてPCを買ったのは2000年ごろ。
高松でまだ幼い長男を育てていた頃で、ストレスから拒食や過食嘔吐がひどくなり、なんとかしなければといつも悩んでいました。
本にはあまり有益な情報はないので、インターネットで情報を得たいと思いPC購入。
当時は今ほどサイトの数も多くはなく、回線も快適と言えるものではなかったけれど、同じ病気の人が書き込む掲示板を見つけて、仲良くなりました。
同じ症状の人との出会いに、かつてない安心感を覚え、それをきっかけに良化していったように思います。
やがて、私のように人にはなかなか言えない病気で苦しんでいる人の力になりたいと考えるようになりました。
まだブログという言葉すら日本では浸透していない時代に、自分でホームページを作ることにしました。
無料のサーバーを借り(「geocities」という無料のレンタルサーバーがありました。2019年3月にサービス終了しています)、自分でHTML等を勉強しながら1からコードを記述しました。
ソフトも使わず、本すら買わず、情報は全てネットで調べて完全¥0で作りました。
(自分のことでお金を使うのは悪いと思っていました)
1円の収益にもなりませんでしたが、気にしませんでした。
収益を得ようなんて考えたこともなかった…^^;
主なコンテンツは自分の体験談、寄稿してくれた人の体験談、掲示板など。
以前にそのような摂食障害の掲示板で知り合った人に救われたので、
私のHPに訪れてくれた人にも同じような出会いがあればと思いました。
2021年、あれから20年近く経って、WordPressでこのブログを作りました。
当時とは比べ物にならないほど楽で、圧倒的に少ない作業でサイトが完成します。
「楽勝!」とまではいかなくても比較的楽に作れたのはこんな経験のおかげかもしれませんね。
摂食障害になってよかったのは、Webやプログラミングの知識を得られたことかな♪
PTA活動
子供の幼稚園や小学校、中学校でPTA活動に関わりました。
特に幼稚園ではなんと年長で役員長に!
やりたかったわけではなく、誰も希望者がおらず、根負けして引き受けたものでした(泣)
今思い出しても、毎日忙しく、問題も多発し、苦しい1年間でした…。
なんでも1人で背負いこみすぎていたかもしれません。
周りを頼り、断る力も必要だと今は思います。
その後、小学校・中学校でも断ることができなかったり、クジに当たったりして、長と名のつく役も引き受けた年もありました。
引き受けるとどうしても気を張り、頑張り過ぎてしまいます。
私自身も疲れますが、家族が迷惑に思うようで(家事が行き届かないから?)ぎくしゃくしてくるので、後半は無理のない範囲での参加を心がけました。
専業主婦というだけで白羽の矢が立ちがちです。
その中でもボランティア精神のある優しい方が例年引き受けて、毎年同じメンバーがやってたりするんですよね。
子供の小学校は児童数1000人いたのに…。
保護者の皆さんができることを少しずつ、で参加していくのが理想ですね。
どんなことにも得るものはありますね。
整理収納アドバイザー2級取得とミニマリズム
実は幼い頃から片付けできない女でした。
ゴミ屋敷のニュース映像を見るたび恐れおののいていました。
未来の自分かも…ガクブル
そういうところが(ADHDなのかも?)と思うゆえんです。
コンプレックスゆえに「整理収納アドバイザー2級」を取りました。
(知識だけはあったので資格自体は楽に取れてしまいました)
しかしその後もなかなか片付けはできず…
子供の友達を家に呼ぶときはあらかじめ教えてもらい、まる1〜2日かけて片付けました。
キレイになっても数日持たずに元通り…情けないっ
子供たちのためにも、いつでも片付いたお家にしたいよ〜〜
正しい整理の仕方を知っていても、短期間実行しても、継続する力がないことを痛感し、自信を失っていました。
そんな時にある考えに出会い、刺激を受け、生活が変わりました。
それはものの数を減らすという、シンプルかつ最も効果的な方法です。
”ミニマリズム”に目覚めてから、嫌いだった掃除もなぜか好きになりました!
もう急な来客も怖くありません。
今では頑張らなくても片付いた空間が維持でき、いろんなことにチャレンジする意欲も湧いています♪
ズボラな私でもできた生活改善!
そうか!モノを減らせばよかったんだ♪
★整理収納アドバイザー2級の資格は知識さえあれば合格します!
整理収納アドバイザー公式テキスト 一番わかりやすい整理入門 第4版 著者:澤 一良 監修:一般社団法人ハウスキーピング協会
この本に書いてあることを理解できれば大丈夫♪
実生活でも役に立つ著書でおすすめです。
★私がミニマリズムにハマったきっかけの本はこちら
ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ – 著者:佐々木 典士
何が自分にとって大切か、モノがあれば豊かになるのは間違いで、実はその逆だと気づかせてくれます。
モノの減らし方も具体的に教えてくれる。
この本を読めば、きっと自然に物を減らしたくなります!
働く主婦時代|学童保育など
結婚してから長く専業主婦でしたが、ある程度子供が育ってからパート程度のお仕事はしました。
- 小学校学童スタッフ
- 非営利団体で幼児一時預かりの保育ボランティア
- 事務系の契約社員
子ども関係のお仕事が多かったです。
子どもは好きなので、楽しみながらできました。
事務系のお仕事はみなとみらいで、オフィス環境も充実していて気持ちよく働けました。
ただ受験が近づいた息子から軽くクレームを受けてしまい…
受験が終わるまでは外で働くのを控えようと一旦辞めたのですが、その後コロナ自粛が始まり、結局復職していません。
なぜブログを始めたのか?コロナ自粛の果てに…
ここまで、長く読んでくださりありがとうございます。(ほんとに…)
さいごにこんな私がなぜブログを始めたかについてお話しさせてください。
2020年〜コロナウイルスの流行がはじまり、我が家にも大きな変化がありました。
夫はずっと在宅でリモート勤務、大学に進学した次男もリモート授業。
私は専業主婦になり、家族の世話も増え、毎日家にとじこもり。
生活が一転したこの3年間にこんなことをしました。
↓猫を家族に迎えるまでのてん末は詳しくはこちらです
保護猫を迎えるまで【前編】夫の反対〜説得〜保護猫カフェ〜譲渡会へ
保護猫を迎えるまで【後編】譲渡会〜トライアル〜正式譲渡|契約や費用について
他にも家でできることはないか…と考えた私は、2021年12月にPCを買い替えることにしました。
ほとんどの事がスマホでできるので、PCは古いままにしていましたが、何か新しいことをしたくてMacBookを購入。
まずは長男(お笑い芸人)のYouTubeの動画編集に挑戦!
未経験でしたが、なんとか覚えて、3本編集してUPできました。
その後長男のネタ切れで動画編集するものがなくなり手持ち無沙汰に…
そうだ、ブログ作ろう…!
(なんとなく)
正直、私に何が書けるのか、何ができるのかわかりません。
でも、できれば誰かの、何かの役に立ちたい。
むかし摂食障害のサイトを立ち上げた、あの時の気持ちをすこし思い出しました。
だいぶおばさんですが、おばさんだからこそ、失敗も含めてそれなりの経験があります。
なにか役に立つこともあるはず…!
おばさんがどこまで何をやれるのか?の実験でもあります。
まだまだ未完成なブログですが、一緒に成長を見届けてくださると幸いです^^
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!